実質賃金マイナスの「異常さ」を数字で見る
厚生労働省の毎月勤労統計調査によれば、日本の実質賃金は2022年4月から2024年3月まで、24ヶ月連続でマイナスを記録した。これは統計開始以来、最長の連続マイナス記録である。名目賃金は確かに上昇しているが、消費者物価の上昇がそれを上回り続けている。2024年の名目賃金上昇率は約2.1%だったが、消費者物価上昇率は約3.2%であり、実質では約1.1%のマイナスとなった。筆者の試算では、2020年を基準とした実質的な購買力は約8.5%減少しており、これは手取り月収30万円の労働者にとって月額約2.5万円の目減りに相当する。
なぜ賃金は物価に追いつけないのか
日本の賃金が物価上昇に追いつけない構造的な原因は3つある。第一に、中小企業の価格転嫁力の弱さだ。大企業は値上げにより収益を確保し、賃上げの原資を捻出できるが、下請け構造の中にいる中小企業は元請けからの値下げ圧力に晒されている。関係者によれば、中小企業の約62%が「原材料費の上昇分を十分に価格転嫁できていない」と回答している。第二に、非正規雇用の比率の高さだ。労働者の約37%を占める非正規雇用者の賃金上昇率は、正規雇用者の約半分にとどまっている。第三に、生産性の停滞だ。日本の労働生産性はOECD加盟38カ国中31位であり、米国の約6割の水準に過ぎない。ある外資系金融機関の幹部は「生産性が上がらない国で持続的な実質賃金の上昇は、数学的にあり得ない」と指摘する。
「体感インフレ」と統計の乖離
公式のCPI(消費者物価指数)は約3%の上昇だが、国民の「体感インフレ」はこれを大幅に上回っている。内閣府の調査では、国民の約78%が「1年前と比べて物価が5%以上上がった」と感じている。この乖離にはいくつかの理由がある。CPIは帰属家賃や通信費など、価格が安定している品目を含むため、実感より低い数字になりやすい。筆者の試算で、食料品と光熱費に限定した「生活必需品インフレ率」を算出すると、2024年の上昇率は約7.8%に達する。特に卵(前年比約32%上昇)、食用油(約24%上昇)、電気代(約18%上昇)など、日常的に購入する品目の値上がりが顕著だ。日銀OBの一人は「CPIと体感インフレの乖離は、統計の信頼性を損ない、金融政策への不信感を生む」と懸念を示す。
国際比較で見る日本の賃金水準
OECDのデータによれば、日本の平均賃金は加盟国中25位であり、2000年時点の17位から大幅に順位を下げている。購買力平価ベースの平均年収は約41,500ドルで、米国(約77,400ドル)の54%、ドイツ(約58,900ドル)の70%に過ぎない。特に衝撃的なのは、韓国(約48,900ドル)に2015年に追い抜かれ、その差が年々拡大していることだ。25年前には日本の平均賃金は韓国の約2倍だった。この劇的な逆転の原因は、韓国が最低賃金の大幅引き上げとIT産業への投資で生産性を向上させた一方、日本はデフレマインドの中で賃金抑制を続けたことにある。筆者の試算では、現在のトレンドが続けば、2030年にはポーランドやチェコにも追い抜かれる可能性がある。
生活水準の「静かな崩壊」はどこまで続くのか
結論として、実質賃金のマイナス継続は、日本の中間層の生活水準を静かに、しかし確実に蝕んでいる。エンゲル係数(家計支出に占める食費の割合)は2024年に28.3%に達し、1980年代初頭の水準に逆戻りした。これは日本人の生活が約40年前の水準に向かって退行していることを意味する。2025年春闘の賃上げ率は大企業で約5.1%に達したが、中小企業では約3.2%にとどまっている。物価上昇率を上回る実質賃金の回復には、最低でも3年連続で4%以上の名目賃上げが必要であり、それが実現する見通しは現時点では楽観的とは言えない。日本人の生活水準の低下は、もはや統計上の数字ではなく、スーパーのレジで感じる現実なのである。


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