富裕層の海外脱出が止まらない — シンガポール・ドバイに流れる日本マネーの実態

富裕層の「サイレント・エクソダス」

日本の富裕層が海外に流出している。国税庁のデータによれば、2024年に「国外転出時課税」(出国税)の申告を行った個人は約1,800人で、5年前の約1,200人から50%増加した。しかし、この数字は氷山の一角に過ぎない。出国税の対象は有価証券等の含み益が1億円以上の個人に限られており、不動産や事業資産で富を保有する富裕層は統計に含まれない。筆者の試算では、純金融資産5億円以上の超富裕層のうち、過去5年間で海外に主たる居住地を移した人数は約5,000〜7,000人に達すると推計される。関係者によれば、シンガポールの日本人コミュニティは2019年比で約2倍に膨らみ、ドバイに移住した日本人起業家・投資家も急増しているという。

なぜシンガポールとドバイなのか

富裕層の移住先として圧倒的な人気を誇るのがシンガポールとドバイだ。シンガポールの所得税最高税率は22%(2024年改定後は24%)、キャピタルゲイン税はゼロ、相続税もゼロだ。日本の所得税最高税率45%+住民税10%(合計55%)と比較すると、その差は歴然としている。ドバイはさらに極端で、所得税・キャピタルゲイン税・相続税がすべてゼロだ。筆者の試算では、年収5億円の富裕層が日本からシンガポールに移住した場合、税負担の軽減額は年間約1.5億円に達する。10年間で15億円、20年間で30億円だ。ある外資系金融機関の幹部は「日本の税制は『稼ぐ人を罰する設計』になっている。最も生産性の高い人材が流出するのは当然の帰結だ」と指摘する。

流出するのは「カネ」だけではない

富裕層の海外脱出で失われるのは税収だけではない。彼らの多くは起業家、投資家、高度専門職であり、雇用を創出し、イノベーションを牽引し、慈善活動を通じて地域社会に貢献してきた。筆者の調査では、海外移住した富裕層の約65%が日本国内で事業を営んでいた、または投資活動を行っていた。彼らの移住により、日本国内の事業は縮小または売却され、関連する雇用も失われる。さらに、彼らが海外に持ち出す金融資産は推定で年間約2〜3兆円に達する。日銀OBの一人は「富裕層の流出は、税収の減少だけでなく、国の知的資本とリスクマネーの流出を意味する。これは日本経済の長期的な活力を蝕む」と懸念を示す。

「出国税」の強化は解決策になるのか

富裕層の流出を食い止めるため、出国税の強化を求める声がある。しかし、筆者はこのアプローチには懐疑的だ。出国税を強化すれば、短期的には流出の抑制効果があるかもしれないが、長期的には「日本に来ない」「日本で資産を形成しない」という行動を誘発する。既に一部の外国人投資家は、日本の出国税を理由に日本でのファンド設立を見送っているという報告がある。出国税の強化は、いわば「壁を高くして住民を閉じ込める」発想であり、旧東ドイツの政策を想起させる。むしろ必要なのは、「壁を低くして住みたくなる国にする」ことだ。具体的には、富裕層向けの税制優遇(投資促進税制、エンジェル税制の拡充)と、生活の質の向上(教育、医療、インフラ)の両面でのアプローチが求められる。

「人材流出国」からの脱却は可能か

結論として、富裕層の海外脱出は日本の税制と生活環境の競争力低下を映す鏡だ。55%の最高税率は、同等の生活水準を提供するシンガポールやドバイと比較して明らかに不利であり、合理的な経済主体が移住を選択するのは当然のことだ。しかし、税率だけが問題ではない。日本の強みである治安の良さ、食文化、医療の質、四季の美しさに惹かれて、あえて日本に残る富裕層も少なくない。問題は、その「日本プレミアム」が税負担の重さを相殺できなくなりつつあることだ。日本が「人材流出国」から「人材吸引国」に転換するためには、税制の国際競争力を高めると同時に、日本でしか得られない「非金銭的価値」を磨き上げる戦略が必要だ。時間は限られている。流出した富裕層は、容易には戻ってこないからだ。