「国の借金1200兆円」という言説の問題点
「日本の借金は1200兆円、国民一人当たり約1000万円」——この表現は財務省の広報資料やメディアで繰り返し使われてきた。しかし、この言説には重大な問題が含まれている。まず「国の借金」という表現自体が不正確だ。正確には「政府の負債」であり、国民の借金ではない。国債の約53%は日銀が保有し、約35%は国内の金融機関が保有している。海外投資家の保有比率は約7.5%に過ぎない。関係者によれば、財務省内部でも「国民一人当たり○○万円」という表現は「増税のための世論誘導」との批判があり、近年は使用を控える動きがあるという。
「日銀保有分は実質チャラ」論の真偽
一部の経済学者は「日銀が保有する国債は政府の連結決算上は相殺されるため、実質的にはチャラだ」と主張する。確かに、日銀は政府の子会社であり、日銀が国債から得る利息は国庫納付金として政府に還流する。筆者の試算では、日銀保有分(約590兆円)を除いた「実質的な政府負債」は約610兆円、GDP比で約110%となる。これはG7の中では高いが、イタリア(約140%)と同水準であり、「世界最悪」とまでは言えない。しかし、この議論には落とし穴がある。日銀が保有国債を「永久に」保持し続けることが前提となるが、金融正常化の過程で日銀が国債を売却または満期償還で減少させ始めれば、その分は再び市場で消化する必要がある。日銀OBの一人は「日銀保有分チャラ論は平時には正しいが、金融正常化局面では前提が崩れる」と指摘する。
財務省が語りたくない「資産サイド」の話
財務省が強調する「負債1200兆円」には、もう一つ重大な欠落がある。政府のバランスシートには資産サイドも存在するという事実だ。日本政府が保有する金融資産は約720兆円に達する。内訳は、外貨準備(約180兆円)、財政投融資貸付金(約140兆円)、年金積立金(GPIF等で約250兆円)、独立行政法人等への出資金(約80兆円)などだ。負債1200兆円から資産720兆円を差し引いた「純負債」は約480兆円、GDP比で約87%となる。これは米国(約100%)やフランス(約95%)と比較しても、特段に悪い数字ではない。ある外資系金融機関の幹部は「日本の財政を負債だけで語ることは、年収1000万円のサラリーマンが住宅ローン残高だけを見て破産すると騒ぐようなものだ」と評する。
それでも楽観できない「金利リスク」
では、日本の財政は安泰かといえば、そうではない。最大のリスクは金利の上昇だ。現在の国債利払い費は年間約9.5兆円だが、これは過去に低金利で発行された国債の恩恵を受けている。加重平均利回りは約0.9%に過ぎない。しかし、新規発行の国債金利は既に1%を超えている。借り換えが進むにつれて利払い費は確実に増加する。筆者の試算では、平均金利が0.5%上昇するだけで、年間の利払い費は3年後に約5兆円増加する。これは消費税約2%分に相当する額だ。さらに深刻なのは、金利上昇局面では日銀が保有する国債に巨額の含み損が発生し、日銀の財務健全性が問われるという連鎖リスクだ。
「嘘」でも「本当」でもない — 日本財政の正しい理解
結論として、「国の借金1200兆円」は嘘でも本当でもない。正確には「政府の負債総額は1200兆円だが、日銀保有分と政府資産を考慮すると、状況は報道されるほど絶望的ではない。ただし、金利上昇リスクを考慮すると楽観もできない」というのが誠実な答えだ。財務省が負債の規模を強調する背景には、増税と歳出削減を正当化したいという政策的意図がある。一方で、「日本は絶対に破綻しない」と楽観する論者は、金利上昇リスクを過小評価している。国民に求められるのは、どちらの極端な主張にも惑わされず、バランスシートの両面を冷静に評価する視点だ。日銀OBの一人は「日本財政の最大のリスクは、数字そのものではなく、数字を正しく国民に伝えようとしない政府のコミュニケーション姿勢にある」と苦言を呈する。


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