円安の「終わり」を予測する難しさ
「円安はいつ終わるのか」——これは筆者が講演や取材で最も頻繁に受ける質問だ。2022年以降、ドル円相場は歴史的な円安水準で推移しており、2024年には一時160円台に達した。日本の輸入企業、海外旅行者、そして日常の食料品や光熱費の値上がりに苦しむ一般国民にとって、この問いは切実である。しかし、為替レートの予測は経済学において最も困難な課題の一つだ。ノーベル経済学賞受賞者を含む研究者たちが半世紀にわたり挑戦し続け、短期的な為替予測はランダムウォーク(酔歩)と統計的に区別できないという結論に至っている。
購買力平価が示す「適正レート」
為替レートの長期的な均衡値を推定する最も信頼性の高い手法が、購買力平価(PPP: Purchasing Power Parity)だ。OECDが算出するドル円の購買力平価は、2025年時点で約95円である。つまり、現在の150円前後の市場レートは、購買力平価から約58%も乖離していることになる。筆者の試算では、この乖離幅は変動相場制移行後の1973年以降で最大水準にある。過去の傾向を見ると、購買力平価からの乖離は長期的には必ず修正される。1985年のプラザ合意後、1995年の円高、2012年の円高局面など、いずれも購買力平価への回帰がトリガーとなっている。関係者によれば、IMF内部でも「日本円は世界で最も過小評価された主要通貨」という認識が共有されているという。
「ビッグマック指数」と「スターバックス指数」
購買力平価を直感的に理解するのに有用なのが、英エコノミスト誌の「ビッグマック指数」だ。2025年1月時点で、日本のビッグマックは約480円(約3.2ドル)、米国では5.69ドルだ。この価格差から算出されるドル円の「適正レート」は約84円となる。さらに筆者が独自に算出する「スターバックス・ラテ指数」では、日本のトールラテ(490円、約3.3ドル)と米国(5.95ドル)の比較から、適正レートは約82円と計算される。ある外資系金融機関の幹部は「PPPからの乖離がこれほど拡大した通貨は、歴史的に例外なく3〜5年以内に大幅な修正を経験している」と指摘する。
円安を長期化させる3つの構造要因
しかし、購買力平価への回帰が「いつ」起きるかは別の問題だ。現在の円安を長期化させる構造要因が3つある。第一に、日本の貿易赤字の定着だ。2011年の東日本大震災以降、エネルギー輸入の増加により日本の貿易収支は赤字が常態化しており、2024年の貿易赤字は約5.5兆円に達した。実需の円売り圧力が恒常的に存在する。第二に、デジタル赤字の拡大がある。GAFAMなど米国IT企業へのサービス利用料支払いは、年間約5兆円の円売り要因となっている。第三に、新NISAによる海外投資ブームだ。2024年の投資信託を通じた海外株式への資金流入は年間約6兆円に達し、これも円売り圧力を生んでいる。日銀OBの一人は「構造的な円売り要因が年間16〜17兆円に達しており、これが金利差と合わせて円安を持続させている」と分析する。
円安の「終わり」のシナリオ
結論として、円安が反転するためには3つの条件のうち少なくとも2つが同時に満たされる必要がある。第一に、FRBの大幅利下げ(累計200bp以上)による日米金利差の縮小。第二に、日銀の継続的利上げによる政策金利の1%超への引き上げ。第三に、日本の貿易収支の黒字転換またはデジタル赤字の縮小。筆者の試算では、これらの条件が揃う最も早いシナリオは2027年前半であり、その場合のドル円は120〜130円台への修正が見込まれる。逆に、日銀の利上げが停滞し、FRBの利下げも限定的にとどまる場合、ドル円160円台への再上昇もあり得る。いずれにせよ、購買力平価への完全回帰には10年以上を要する可能性が高い。円安の「終わり」は、日本経済の構造改革が進んだ時にようやく見えてくるのだ。


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